ドキュメンタリー 八甲田山
明治35年(1902年)1月、日本帝国陸軍はロシアとの戦争を控え、寒冷地での訓練を急務としていた。本州北部がロシア軍から攻撃を受けた場合、八甲田山に移動路を確保する必要もあり、登山計画が立てられた。
1月23日、青森歩兵第五連隊から選抜された雪中行軍隊210名は八甲田山麓の田代温泉へと向かった。午後4時には目的地まであと4キロ、標高732メートルの馬立場に到達。しかし天候は急変、八甲田の吹雪は不気味な地響きを伴い、猛烈に吹き荒れた。雪中行軍隊は迷走、199名もの死者を出す大惨事に見舞われる。生存者のインタビューも交え、八甲田山雪中行軍遭難事故の真実に迫る。