とんぼ返り道中
(C)1951 松竹
浅草寺境内で、今日も越後の獅子舞が人々の人気をよんでいたが、群集のなかから誰か獅子面の頭へ小刀を投げた者があった。土地の顔役佐平次はこれを見ていて、「佐七だ!」と叫んだ。佐七は浅草奥山に小屋掛けして興行を打っている女水芸師の太夫梅吉の亭主であったが、獅子舞と見ると必ず小刀を投げて、その獅子面の頭を割って歩いていた。浅草寺の鐘つき伝兵衛は、中風で躰の自由が利かなくなってから、孫息子の蝶松が代わって鐘をついていたが、持って生まれて唄がうまく長屋の隣家にやもめ暮らしをする源六が可愛がって唄を仕込んでいた。