智恵子抄

(C)1967 松竹
明治四十四年、高村光太郎は“パンの会”に属し、奔放な生活を送っていたが、彼の身を案じる友人、椿夫妻の紹介で、画学生長沼智恵子と見合いした。二人の仲は急速に深まった。一年を経て二人は結婚した。光太郎は詩作に専念し、智恵子は油絵に没頭した。大正四年、智恵子は絵を文展に出したが、結果は落選だった。傷心の智恵子は光太郎と共に故郷二本松を訪れた。智恵子の父宗吉と母やすは二人を心から歓待した。二本松から帰った智恵子は絵筆を捨て、かわりに機織をはじめた。そんな頃、二本松に大火があり、父宗吉は焼死した。昭和六年、智恵子の姪ふみ子が看護婦試験に合格し、智恵子と光太郎のアトリエに寄宿していた。或る日、智恵子の実家が倒産したという知らせが届いた。智恵子は夫光太郎に事実を話さず、一人苦しんだ。そして、光太郎の留守をねらって服毒自殺をはかった。そんな智恵子を、ふみ子が発見した。

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