切腹
(C)1962 松竹
寛永7年10月、井伊家上屋敷に津雲半四郎と名乗る浪人が訪れた。「切腹のためにお庭拝借…」との申し出を受けた家老斎藤勘解由は、 春先、同じ用件で来た千々岩求女なる者の話をした。窮迫した浪人者が切腹すると称してなにがしかの金品を得て帰る最近の流行を苦々しく思っていた勘解由が、 切腹の場をしつらえてやると求女は「一両日待ってくれ」と狼狽したばかりか、刀は竹光を差しているていたらくで舌かみ切って無惨な最後をとげたと。 静かに聞き終った半四郎が語りだした。求女とは半四郎の娘美保の婿で、主君に殉死した親友の忘れ形見でもあった…。