勇み肌千両男

今からおよそ二百年ほど前の江戸には、武家屋敷専門の定火消しかなかった。ために江戸市民の間では、町火消を作ることが焦眉の急となっていた。鼻唄まじりに焼跡を通りかかる大久保組にからむ新吉、あわやと思われた瞬間、人入稼業の栄五郎の仲裁でその場は治まった。濡衣を晴らして牢を出た新吉だが左腕には前科者の烙印があった。栄五郎は町奉行越前の命の下に、町火消を作るべく覚悟を決め、新吉を纏持に起用した。

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