愛が欲しいなら・・・僕の部屋に来ませんか『僕の名前はルシアン』キャストコメント&栁俊太郎の公式インタビュー解禁!

(C)「僕の名前はルシアン」製作委員会
9月24日(日)

栁俊太郎が美しいサイコパスを演じる初主演映画『僕の名前はルシアン』。ユーロスペースでの公開を前に、キャストの菜葉菜、大鶴義丹、大島葉子、定岡正二のコメントと、栁俊太郎のオフィシャルインタビューが解禁となった。

愛を求める孤独な10代の少女・あかねは、インターネットで「ルシアン」と名乗る理想的な男と知り合う。同じころ、ある連続殺人犯を追っていた警察は、同じ犯人が手を下したと思われる、3人目の女性の全裸遺体を発見。遺体に暴行の痕跡はなく、犯行動機もわからないままで、捜査は難航していくが……。


「Vogue」などのファッション誌を中心に活躍し、資生堂の企業文化誌「花椿」に掲載された犬の未発表写真が第35回朝日広告賞でグランプリを受賞した写真家で映像作家の大山千賀子が、実際にあった事件にインスピレーションを得て描いたオリジナルストーリー『僕の名前はルシアン』は、自殺願望を抱えた若者たちが同じ願望を共有するサイトで知り合うところから始まるミステリーだ。

<あかねの友達・真希役:菜葉菜>
大山千賀子監督!
10年余の年月を経てよくぞ完成させてくださいました。
先ずはおめでとうございます!と心から言わせてください。
試写を観て驚きました。
想像を遥かに超えた映像美に溢れ濃厚に味付けされたサスペンスに時を忘れてしまうほど。
他に類をみない珠玉の映像美を是非,劇場で堪能してください!


<刑事・三木谷哲史役:大鶴義丹>
監督が望んだのは、死の世界に惹かれる犯人と、生に執着する刑事(私の役)の、異なる日常の横顔だった。
連続殺人犯を追いながら、
刑事は取り憑かれたかのように、暴飲暴食と、性のはけ口を求める。
犯人、刑事、二人の持つリビドーは全く異なっている。だが刑事は、犯人を追えば追うほどに、自分の中にある、死の匂いに気がつく。
もしかすると、死に惹かれているのは自分で、犯人は他人を殺しながらも、実は、生に執着しているのでは。
しかし、その内面の逆転を、どこまで表現し切れていたかは、未だに疑念は残っている。


<あかねの母親・山口千枝子役:大島葉子>
家族皆んなが、それぞれ悩みを抱えていて歯車が噛み合わない。
千枝子は何不自由なく裕福な家庭に育って結婚もし、娘も2人いるのに孤独で愛に飢えていて、
その捌け口になるものが違うだけで、あかねと同じ。
一見幸せそうに見える家族でも、内情はわからない。
それはいつの時代にも、誰にでも大なり小なり当てはまる事だと思う。
母でありながら、女でもあり、ある意味、一番幼い、世間知らずの人だけど、嫌味な女ではなく、共感できる部分を大切に演じたと思います。


<あかねの父親・山口英二役:定岡正二>
出演オファーが来た時、正直「なぜ自分に」と思いましたが、娘の親である一方で、実業家でもあるキャラクターを演じるために、両方の側面をバランスよく演じるようにしました。特に声のトーンを意識しました。
監督の情熱が詰まった、社会性溢れる作品をぜひ劇場でご覧ください。


<ルシアン役:栁俊太郎のオフィシャルインタビュー>
監督に「美しいサイコパスのルシアンにぴったり」と言われたというのは、栁さんがミステリアスということだと思いますが、役者としてはそう言われて嬉しかったですか?
そうですね。嬉しい反面、期待に応えられるのかなという不安がありました。自分の中でそういう要素があるのかどうか全然わかっていなかったので、不安の方が大きかったですかね。

『冷たい熱帯魚』とかよりかはグロいシーンは少なくて、美しく描いていますよね?
それは大山さんの作品の素晴らしいところだと思うし、大山さんが描きたかったことだと思うので、そのイメージに僕が合ったということだと思います。本作を観た時に大山さんが描いていた画が伝わりましたし、僕自身そこに入れて一つ新しい自分の見え方というか、可能性が広がったなという気はします。

「今際の国のアリス」ではスキンヘッドにされましたが、ルシアンは、長髪が似合っていましたね?
そうですね、これでスキンヘッドだと怖すぎるので(笑)

ホアキン・フェニックス主演の『ジョーカー』が公開されたのは2019年で、本作はそれより前の2013年に撮影されましたが、サイコパスを演じるにあたって、参考にした実在の人物や架空のキャラクターはいますか?
大山さんと話して、そういうものを準備していくと、どっかバレちゃう気がして、僕は特に準備とかはしなかったです。「暴れた時に栁くんがどう動くのか見たい」というのは言われていたので、とにかく現場で感情のままに暴れて動くことを意識しました。
美術の磯見俊裕さん(『ラーゲリより愛を込めて』)に雰囲気をセットで作っていただけたので、現場に入ったら、暗く冷たい空気が流れていて、セットに助けられました。

サイコパスの男の、職場の工場で黙々と作業する一面が描かれたシーンもあったのは、役を演じるにあたり、やりやすかったのでしょうか?
工場で作業している中で沸々としたものが育っていって爆発するという物語なので、工場で作業している姿っていうのは、爆発するまでの助走です。ルシアン的にもそこで辛い感情だったり、色んなネガティブなものを吸収したので、なくてはならない一部なのかと思います。

ルシアンが鏡に向かって話しているシーンは、難しかったですか?
あれは面白かったです。鏡を見て話すシーンって、『タクシードライバー』のデ・ニーロもそうだし、『ロード・オブ・ドッグタウン』の主人公がスキンヘッドになる時など、昔から色んな映画であるじゃないですか。鏡に向かって自分に話すって、その物語の覚悟を決めるシーンというイメージがあります。ルシアンは絶対二重人格なんですけど、その人格が違うもう一人の自分に話しかけているシーンで、そのシーンは、『映画を録ってるな』という感じで、楽しかったです。


本作は、ちょっと文学的な部分があるというか、ルシアンが自分のことを「おいら」と言うのにはびっくりしたのですが、自分を「おいら」と呼ぶという設定から、演じる上で何かヒントを得たりしたことはありますか?
独特の大山さんワールドなんだろうなと思いました。大山さんが大山さんの男性像と混ぜるのが面白いと思ったのではないかという印象です。

ルシアンが「愛してるよ」と言う時は、女性にでなく、何か具体的でない対象に対しての怒りを感じたりもしたのですが、どのようなことを考えて言っていましたか?
ルシアンって本性を見せないんですよ。名前も偽名で、ネットでしか自分の存在価値がないと思っている人間で。その「愛してるよ」っていうのもどこかルシアンの中のロマンチックな部分というか、そういうのを得られていないから一人で叫んだりしている。何も得られていないから色んなものが不足しているんですよね。「愛してるよ」っていう言葉も言われたこともないし、言ったこともないし、寂しさからくる叫びだったと思います。

ルシアンの「幸せにしてあげるよ」という言葉も、ぶっきらぼうに聞こえましたが、それをパソコンで読んでいる女性は、自分の好きなように読むので、甘い言葉に聞こえることもあるのかなとも思いました。パソコン上のやりとりのナレーションの収録に関しては、どのように考えて臨みましたか?
どこか別の自分がいて、そいつにやらせている、自分の魂を操作しているくらいじゃないと、あんなに人を殺せないし、殺した時にそんなことを言えないと思います。僕の中では、それぐらい振り切って言っていました。


ルシアンが人を殺した時にどういう表情をしたかは想像しかなかったかと思いますが、それは脚本のト書きには書かれていたんですか?
覚えていないですが、ト書きのようにはやっていないと思います。その時思いついたアイデアでやっていた気がします。

2013年に撮影したとのことで、10年経って幻の初主演映画が渋谷のユーロスペースで上映されることになり、どういう心境ですか?
10年前の社会に向けた作品が今この現代にどう響くのか、大山さんが伝えたかったものが、今の人たちに届いた時にどう広がっていくのかが楽しみです。

読者にメッセージをお願いします。
「この映画はみなさんに楽しんでいただける映画だと思います」という風に出た責任上言わなくちゃいけないのはわかるんですけれど、それもなかなか口に出しづらいくらい当時の社会に踏み込んだ作品なので、その深さ、痛々しさを見た人には味わってもらえればと思います。
今作れない作品だと思うので、こういう映画は画として楽しんでいただくだけで十分だと思うんです。感情だとか深い話をし出すと多分吸い込まれちゃうようなそのぐらい危険な映画だと思います。その危険な世界に興味がある方は、観てほしいなと思います。


9月29日(金)〜10月12日(木)渋谷・ユーロスペースほか全国順次公開

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作品紹介

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